愛されるチカラがここにはある

金沢の良縁祈願の名所『珠姫の寺・天徳院』の魅力とは

金沢の良縁祈願の名所
『珠姫の寺・天徳院』の魅力とは

家族を愛し、家族に愛され、家臣や領民みんなに愛された珠姫が祀られる天徳院は、開山から一般には非公開で、修行寺として荘厳で神秘的な時間を過ごしてまいりました。

貴重な文化財や前田家にかかわる寺宝、寺の歴史の中で受け継がれ品々などが数多く所蔵されています。
また、広大な境内には、保存樹林が四季折々の美しい景色を織りなす本堂手前の中庭や、良縁祈願と夫婦円満、家庭円満、子宝祈願として人気の「おとり石」がある黙照禅庭と呼ばれる庭園がございます。
こちらで心の浄化やリセットができると言われる枯山水のきれいで静寂なお庭を見ながら、お抹茶も楽しめます。
お抹茶席の事前予約 (3日前) をすれば、百万石まつりの時期にしかお出ししていない「珠姫てまり饅頭」をお楽しみいただけます。

400年を数える境内のいたるところが、パワースポットとしても有名です。

厳粛で尊く気高い空間と歴史的な背景からか、訪れた方から『すごくパワーをもらった』 『神秘的な雰囲気だった』『マイナスイオン感がすごかった』 『心がふわっと楽になった』『疲れた心が癒やされた』 『恋愛運が上昇する気しかしない ! 』などのうれしいお声をいただいております。

ご利益のお声のご紹介

ご利益のお声①

新規事業の出資者を集めている中、勧められて参拝したところ、出資者の応援が決まって事業がスタートできることになりました。参拝して清々しい気持ちになったからかもしれません。

40代女性

ご利益のお声②

唯一焼け残ったという山門をくぐると気持ちが引き締まりました。ゆっくりと回ることができたおかげですごくパワーをもらった。参拝後に新規の業務の受注がふえました。

30代女性

ご利益のお声③

恋人募集中という訳ではなかったのですが、友人に誘われ参拝してみると、20才年下の彼氏ができました。

40代女性

ご利益のお声④

ずっと気になっている人と、ひょんなことから意気投合することがあり、距離が縮まってきたように感じています。

30代女性

ご利益のお声⑤

珠姫さまの噂は聞いて知っていたので、金沢に旅行に行った際にお参りに行きました。長男の結婚を祈願しましたが、おかげさまで結婚し、かわいい孫も生まれ、家族みんなが幸せな気持ちになりました。

40代女性

ご利益のお声⑥

モテ期を実感。三人の相手といい感じで現在進行形。

20代女性

ご利益のお声⑦

母の勧めで訪れました。仕事が忙しく、恋愛をする暇もなく、疲れ切っていました。正直それほど期待しないで行ったのですが、想像以上に良かったです。お茶をいただきながら中庭を見たりして、疲れた心が癒されました。

30代女性

ご利益のお声⑧

初めてお参りしました。半信半疑でしたが、なんと !  YouTubeチャンネルの登録者が4000人ふえました。感謝しかありません。

30代女性

ご利益のお声⑨

無理かもしれないと半ば諦めていた融資がおりました。すごく神秘的な雰囲気でした。お礼参りに行きたいと思います。

40代男性

がんばるわたしを珠姫が推す

日々の中で起こる嫌なことを断ち切りたいあなた、
素敵な恋愛をしたいあなた、
お参りいただくだけでも、珠姫があなたの背中をそっとおしてくれることでしょう

日常生活をがんばっているあなた、
気分転換に旅行で訪れたあなた、
そんながんばるあなたをいつの世の中でも応援してくれる処

それが、この『珠姫の寺・天徳院』です

平和と安定をもたらした、
愛のエバンジェリスト『珠姫』

珠姫は、江戸時代初期の慶長4年(1599年)3月、のちの二代将軍 徳川秀忠公の次女として生まれました。

利家公亡きあと、加賀藩 (現在の石川県・富山県) を治めていた前田家が徳川家に反乱を企てているという噂が広まり、徳川家康公は前田家を攻撃しようとしていました。

そこで二代 利長公は誤解を解くべく、前田利家の正室であった芳春院 (お松の方) を人質として差し出し、代わりに珠姫を弟利常の正室として金沢に迎えるようにという徳川方の要求を受け入れました。
姫がわずか3歳の時でした。そして、14歳で初産する運びとなりました。

10年間で3人の男の子と4人の女の子をお産みになりました。2人の間には当時には珍しく側室の子供はおらず、子供全員2人の愛の結晶でした。非常に仲の良い夫婦だった証です。
珠姫亡き後、利常は7年もの間側室をもたずにいたそうです。

加賀藩三代藩主 前田利常公の良き妻として、江戸幕府二代将軍 徳川秀忠公の誇れる娘として、前田家、徳川家の融和と加賀の国の民の為に生涯を捧げた珠姫でしたが、24歳という若さで生涯の幕を閉じました。

加賀百万石として発展をとげる繁栄の土台と流れをつくった珠姫・・・加賀、能登、越中の安定と秩序を生み出したといっても過言ではないでしょう。

混沌とした江戸時代の初期に、加賀藩から遠く徳川家・将軍である父・秀忠や弟・家光に意見をした胆力。
一方、家庭となると夫婦円満で、たくさんの子供たちを産み、幸せな家庭を築きました。
仕事(どちらかといえば政治)と家庭を切り盛りした、現代でいうスーパーウーマンのような人柄から、良縁や和合の象徴と言われます。

最後まで夫・利常に大切にされた事実。お家を守るための勇敢で気丈な交渉力 !

彼女の人生は、まさに ! 愛と平和・love&peace ! であったと言えます。

珠姫のここがすごい !
5つのエピソード

珠姫のここがすごい①
血筋がすごい !

珠姫のここがすごい②
胆力がすごい !

珠姫のここがすごい③
頭脳がすごい !

珠姫のここがすごい④
愛がすごい !

珠姫のここがすごい⑤
子どもたちもすごい !

開山400年を迎えた天徳院

天徳院とは、前田家三代藩主 前田利常の正室 珠姫の菩提寺として、寛永元年 (1624年) 巨山泉滴を住持として迎え開山されました。

寺の名前である天徳院は夫人の法名にちなんだもので、創建当時は東京ドーム3個分にあたる四万坪の広大な敷地を有し、後に加賀藩内の寺院で唯一五百石を拝領した、当時最高の格付けのお寺です。
開創から360年程の間は、格地として全国30余りの触頭(ふれがしら)の1つとして加賀地区に在り続けました。

五代藩主 綱紀が、10年の歳月を費やして2度目の建立を果たした明朝式 (黄檗様式) の伽藍は、明和5年 (1768年) の大災で山門を残し焼失してしまいましたが、十代藩主 重教によって翌年、本堂、庫裡等が再建され、現存している天徳院の建物はこの時に建てられたものです。

寺宝には、珠姫ゆかりの徳川家 葵の紋が入った紙雛人形。
珠姫の夫、利常が寄進した存星卓(ぞんせいしょく)※小さいテーブルのようなもの。
三世 月坡道印(げっぱどういん)和尚が、鋳物師 初代 宮崎寒雉(みやざきかんち)に命じて作らせた葫蘆様釜(ころようがま)※ひょうたんのような形をした窯などがあります。

天徳院の見どころ

出世地蔵

加賀藩 六代藩主 前田吉徳の側室 貞(真如院)は、無実の罪により幽閉されたまま、没しました。
この事件は日本三大お家騒動の1つとされ、加賀騒動と呼ばれています。
貞の2人の男子も、母と自分たちの運命を悲観したまま、20代の若さで他界し、天徳院のはずれに墓所がつくられ、2人の菩提を弔うために建立されたのがこの地蔵尊です。
のちに、貞への疑惑が無実の罪であったことが証明されたこともあり、190年を経て、天徳院の前田家の墓地が野田山に移る時に2人も改葬され、2人の墓の間にあった地蔵尊ははずれの地から天徳院の境内に場所が移ったことにちなみ、出世地蔵として知られるようになりました。

天徳院・山門

天徳院の山門は、元禄6年(1693年)に黄檗宗 (おうばくしゅう) の高泉という京都の高名なお坊さんを招いて、黄檗式建築でつくらせたものです。

明和5年に火災がおこって山門だけが唯一焼け残り、当時のままの姿で現存しています。
ほかの建物は同年、建て直されたものになっています。
天徳院山門は江戸時代中期以前の貴重な遺構としての価値が極めて高く評価されており、両脇2間の回廊と併せて県指定文化財となっています。

門上には釈迦の弟子である十六羅漢像のうち十五体が安置されており。いつも上から衆生(しゅじょう・一切の生きとし生けるもののこと)を見守っています。
残る一体の羅怙羅尊者は別室に展示してあります。

旧竹沢御殿の時鐘

この時鐘は、文政6年(1823年)に加賀藩が時刻制度を改革した際に造られた2つのうちの1つであり、県内最大級の鐘です。
これは、時刻制度の改革を示す数少ない物証だとも言われています。
この鐘は藩主 斉広の隠居所である竹沢御殿内の時鐘所に吊られていましたが、あるとき鐘が斉広の枕辺に現れ「天徳院に行くを望む」と告げたことを受けて、天徳院に寄進されました。
毎年、除夜の鐘として近隣の市民に親しまれています。

黙照禅庭
(もくしょうぜんてい)

黙照禅とは何も求めずにただ坐禅をすることであり、曹洞宗の神髄を表現した珍しい庭園です。
静かに庭を愛でることで禅の教えにつながっていく場所であるといわれています。

心の浄化やリセットができるという枯山水の静寂な庭を見ながら、回遊して八方からそれぞれ眺めたり、茶席に座して眺望、鑑賞する方もいれば、珠姫の良縁祈願や家庭円満のご加護をお持ち帰りいただける「おとり石」、「金龍稲荷大明神」をお参りしたりと、見どころの多い庭園として知られています。

庭に面した茶室でお抹茶をお楽しみいただけます。

・お抹茶料
30名未満 (1名):¥500-
30名以上 (1名):¥450- 

※黙照禅庭の見学には拝観料とは別に、お抹茶の注文が必要となります。
※お抹茶のみのご利用も可能です。
※お茶席の事前予約 (3日前) をいただきますと、百万石まつりの期間しかいただけない「珠姫てまり饅頭」をご賞味いただけます

鎮守堂 (座禅堂)

天徳院の長い歴史の大部分は、修行寺としての時代が長く格地として、全国30弱の触頭の1つとして加賀地区に在り続けました。ここも昔は座禅堂として、昭和のはじめまでは修行僧がいたそうです。

いまは鎮守堂として座禅堂の雰囲気も残しつつ「金龍稲荷大明神」、「大弁財尊天十五童子」、「白山妙理大権現」を祀っており、三尊全体依加被力は、除災招福、家内安全、商売繁盛、心願成就など多岐にわたり、この立地の背景から放たれる雰囲気やパワーなどを感じられる参拝客の方が多いです。

なんじゃもんじゃの木

天徳院には、人気の樹木が多々ありますが、そのうちの1つがなんじゃもんじゃの木です。
なんじゃもんじゃは、モクセイ科の落葉高木“ひとつばたご”が正式名称です。
本当の名前が分からなかったため、なんじゃもんじゃと呼ばれていました。
英語名のSnow-flower Fringe-treeのとおり、葉がややへこんだ形の先が鈍く尖った雪のような花が咲きます。

黙照禅庭と称している庭にあり、お抹茶とお庭の散策がお楽しみいただけます。

※毎年の見ごろはゴールデンウイークあたりです

前田家歴代当主たちのご位牌

天徳院が、前田家の菩提寺としても深いかかわりがあったという証左といえるのがこちらの歴代藩主たちのご位牌です。

左から五代藩主綱紀、十二代藩主斉広(なりなが)、三代藩主利常、四代藩主光高の順に並んでいます。

前田家系図

珠姫が輿入れしたことで、前田家の系図はかなりの発展をすることになります。

そもそも、珠姫は、徳川家二代将軍の徳川秀忠の次女で、初代将軍家康の孫です。
大叔父には織田信長、祖母には信長の妹のお市。
珠姫の母は、浅井長政の娘で豊臣秀吉の養女のお江。
珠姫の姉は、豊臣秀頼の妻の千姫。弟は徳川家三代将軍の家光。
珠姫の妹は、後水尾天皇に入内した東福門院和子 …と、 珠姫の親族は歴史に詳しくない方でも聞いたことのある歴史上の大物ばかりです。
現代よりも血筋が重要視された時代に、誰にも引けを取らない、 正真正銘のお姫様であったことがお分かりいただけるかと思います。

利常は珠姫と結婚し、天皇家、豊臣、徳川と親戚になれたことをたいそう喜んでいたという逸話もあります。
また、珠姫の産んだ男子はすべて藩主になっています。
長男の光高は加賀藩四代藩主、次男の利次は富山藩初代藩主、三男の利治は大聖寺藩初代藩主、娘の富姫は八条宮家に嫁ぎ、 富姫の輿入れに伴い前田家の支援を受け、日本建築を代表する桂離宮を完成させていくのです。

当時の加賀藩は石高的に幕府(徳川家)に次いでの大大名であり、御三家並みの待遇を与えられていたとも言われています。
その後も、前田家は、徳川家・宮家・公家・大名家と縁をつないでいきます。

珠姫の孫にあたる五代目藩主の娘の直姫(栄君・まさぎみ)を公家の二条家に嫁がせましたが、 上の娘の夫は桜町天皇となり、その娘は(日本最後の)女帝・後桜町天皇になりました。 あまり知られていないですが、珠姫によって発展した前田家の系図は、目を見張るものがありますね。

天徳院の駕篭

この駕篭は、登城の際にこの篭で来てもよいと許可をいただいたため、天徳院住職が当時(江戸時代)に実際に使われていたものです。

加賀藩内の寺院で唯一五百石を拝領した、当時最高の格付けのお寺の名残です。

羅怙羅(らごら)尊者像

江戸時代のものといわれています。
山門の上に祀ってある十六羅漢像のうち、羅枯羅尊者のみ下におりていただいています。

羅怙羅尊者は、お釈迦様の実のお子様(ラーフラ)であります。また、釈迦十大弟子の1人にも数えられます。
よく戒律を守られたことでも有名で、「自分が羅漢の地位にいるのは、血筋ではなく自分の本心から仏の道に帰依しているからである」と自分のお腹を見開いた形で象徴的に現された像です。

見返阿弥陀立像

江戸時代のものといわれています。
普通の像は顔が正面を向いていますが、こちらの阿弥陀様は、後ろを少し振り返った姿をしております。

その昔、永観律師という方が行道念仏(仏の周りを念化仏を唱えながら回る行)を行じた際、如来が先導され、その時、永観律師が眠くなり立ち遅れたので、「永観遅いよ」と言われ、後ろを振り返ったという話に基づいて作られたものです。

この像を含め、見返阿弥陀立像は数体しかない像と言われています。

『菅氏大宗祠』扁額

黄檗宗第五代管長高泉和尚の書によるもので、天徳院が菅原道真の子孫である前田家を祀る大殿堂であることを示しています。

珠姫お手作り紙雛人形

この紙雛人形は、元前田家家臣、石黒家に代々家宝として伝えられてきた珠姫様お手作りの雛人形です。

雛人形の古形といわれる立ち雛の形態で、淡い色彩、広げた小袖に各々描かれた徳川家の葵の文様、梅花の文様(前田家の梅鉢とは異なる)金色が消えそうな袴、女雛の胸元に合わせた袖などは、当時の堅実、素朴な風姿がうかがわれます。

三十三体観世音菩薩像

観世音の名前を唱える人々の声を感じて、観世音菩薩が三十三のあらゆる姿に身を変えて(三十三身)、さまざまな場面や場所に出現して人々を救うことが説かれています。

前田家から寄贈されたもので、前田家との親密な関係が表れています。

観覧・体験

からくり人形劇『珠姫・天徳院物語』

本堂の一角に再現した御殿を舞台に、木偶師八代目玉屋庄兵衛氏(名古屋)が伝統の手法と新しい技術で実現した「珠姫・天徳院物語」。

六体の「からくり人形」が演じるドラマは、ふとタイムトンネルをくぐって風雲急を告げる金沢城の歴史の一コマを覗かせてくれる。

◆からくり人形劇『珠姫・天徳院物語』上演時間
午前10時 / 正午 / 午後2時 / 午後4時 (約15分間)
※12月~2月は午後4時の上演はありません

◆からくり人形DVD 上映時間
午前11時 / 午後1時 / 午後3時 (約15分間)
※上記以外の臨時上映もいたします

おとり石

珠姫のおとり石でお持ち帰りいただく石は「祈願石」です。

良縁祈願・家庭円満、子宝祈願にご利益があると言われます。願掛けをしてお石をおとりいただいて、お守りとしてお持ち帰りください。

加賀百万石・金沢の自然が生んだ銘石・戸室石(医王石)で、戸室地区にある医王山や戸室山から採取される良質なミネラルを豊富に含む天然鉱石です。
昔から薬石として重宝されていました。
人々は、古来から魔除けのためや願いを叶えるために「石」の持つパワーを活用していました。

水晶をはじめとする天然石など、パワーストーンと呼ばれ、今でも人気があります。

金箔御朱印

かつては、悪いものから人々を守る魔除けとして使われていました。
金は太陽と関わりが深く「本来の自分を導き出したい」といった思いを、太陽のような熱量でサポートしてくれるともいわれています。
その他にも、心に安らぎと豊かさを与えてくれたり、
「富と栄華」や「美しさを増す」など、さまざまな石の暗示があるそうです。

金箔といえば、日本の金箔生産量の98%以上を占める金沢幕府から箔打ち禁止令が出ている中、前田家の文化奨励により密かに技術が研鑽され、伝えられてきたといいます。

金沢と天徳院にも深く関係する「金箔御朱印」で金の強力なご加護を受けられてはいかがでしょうか?

天徳院 アクセス

◆珠姫の寺 天徳院

・住所
〒920-0942 石川県金沢市小立野4丁目4-4

・拝観時間
3月~11月 9:30~16:30
12月~2月 9:30~16:00

・休観日
12月~2月の毎週水曜日
12月29日~1月3日

・拝観料
30名未満 (1名):大人¥500- / 中学生¥300- / 小学生¥200-
30名以上 (1名):大人¥450- / 中学生¥270- / 小学生¥180-

・お抹茶料
30名未満 (1名):¥500-
30名以上 (1名):¥450- 

※黙照禅庭の見学には拝観料とは別に、お抹茶の注文が必要となります。
※お抹茶のみのご利用も可能です。
※お茶席の事前予約 (3日前) をいただきますと、百万石まつりの期間しかいただけない「珠姫てまり饅頭」をご賞味いただけます

【歴史監修】
横山 方子
(石川郷土史学会副会長・一般社団法人 珠姫の会)

【記事監修】
ハッピーマイスター☆元気が出る占い師
Christine Derico
(クリスティーンデリコ)

珠姫のここがすごい①
血筋がすごい !

 珠姫(たまひめ)は、江戸時代初期に実在していた女性です。

珠姫は徳川家二代将軍 徳川秀忠の次女で、徳川家初代将軍 徳川家康の孫。
大伯父に織田信長、祖母にお市。
珠姫の母は浅井長政の娘で豊臣秀吉の養女、信長の妹のお江。
珠姫の姉は豊臣秀頼の妻の千姫。
珠姫の弟は徳川家三代将軍の徳川家光。
珠姫の妹は、後水尾天皇に入内した東福門院和子 …と、珠姫の親族は歴史に詳しくない方でも聞いたことのある歴史上の大物ばかりです。

現代よりも血筋が重要視された時代に、誰にも引けを取らない、正真正銘のお姫様であったことがお分かりいただけるかと思います。

利常は珠姫と結婚し、天皇家、豊臣、徳川と親戚になれたことをたいそう喜んでいたという逸話もあります。

珠姫のここがすごい②
胆力がすごい !

珠姫はどっしりかまえて打たれ強く、きもが据わった「胆力のある人物」であったと言われています。

珠姫が嫁いだ後も幕府から特別な目を向けられるなど、加賀藩は将軍にとって気になる存在となっていました。
その時に、父であり時の将軍だった徳川秀忠に対して、あらぬ疑いの心配はご無用 ! とビシッと言い放ち、それを使者から秀忠に伝えさせました。

また、夫の前田利常が参勤交代で江戸に向かう時には、あまりにきちんとしていると謀反の疑いがかけられるかもしれないと、ちょび髭をはやしていくようにアドバイスをしたそうです。

利常が江戸に着いたタイミングを見計らって、父で二代将軍 徳川秀忠に、大事な用事があるから主人を早く戻してほしいと依頼しました。
自分の父であっても将軍に対して依頼するなど、とても勇気のいることです。

また、自分の実家である徳川家、嫁ぎ先の前田家が円満であるようにと、加賀藩内の浄土真宗(徳川家の宗派・寺院如来寺)に家康の位牌を設置したり、徳川と前田の家紋を入れるように配慮するなど、両家の和平のために心を尽くしたことも伝えられています。

こういったエピソードからも、聡明でユーモアがあり利発的な女性でだったがうかがえます。

現代の私たちにも参考にできることがたくさんありそうですね。

珠姫のここがすごい③
頭脳がすごい !

珠姫には幼いころから優秀な女性の教育係の岩崎という人物がついていたといわれ、「源氏物語」「伊勢物語」「古今和歌集」などの書物を学び教養の深い女性であったといわれています。
※この教育係の女性は非常に優秀な人で、藩主利常とも政治や兵法などの話題で語りあえるほどの人で事務能力も備えていました。

また、夫 利常の母 寿福院が建立した経王寺には祈祷に優れた僧がおり、珠姫や子供たちが病気の際や子育てなど、困りごとを相談し悩みを乗り越えていました。

珠姫自身が健やかで聡明であっただけではなく、子供たちにもそうあってほしいと、さまざまに心を尽くしたことがうかがえますね。

珠姫のここがすごい④
愛がすごい !

夫の利常ととても仲が良く、子だくさんであったことも知られる珠姫。
利常は、この頃の殿様としては珍しく、珠姫以外の側室を持たなかったことでも知られています。

お城の中で、珠姫の居住していた部屋から火事が出た時も、珠姫が無事であることを確認した利常は、心から安堵し、火事をとがめることなく、「建物も古くなってきたところだったから、建て替えるのにちょうどいい」と笑い飛ばし、建て替えたという逸話も残っています。

利常が参勤交代で江戸に行った際に早く国に返してほしいと、珠姫の父である徳川秀忠に手紙を出したというエピソードは以前もご紹介しましたが、珠姫も夫のことを愛していたのでしょう。

更に珠姫は、子供たちの教育にも心を尽くし、家臣も大切にする情の厚い人物であったそうです。

そんな珠姫のことを利常も深く愛しており、利常は珠姫が亡くなった際に二度も卒倒したと記録にも残っております。
家臣や城下の民も悲しみに暮れ、金沢の街が白一色になりました。

更に利常は珠姫亡き後7年間側室を置かず、独り身で過ごしたそうです。

珠姫の利発さ、愛情の深さ、夫婦円満っぷり…あやかりたいですね。

珠姫のここがすごい⑤
子どもたちもすごい !

珠姫は夫の前田利常ととても仲が良く、子だくさんであったことは以前のお話でもお伝えした通りです。

珠姫の産んだ男子はすべて藩主になっています。
長男の光高は加賀藩四代藩主、次男の利次は富山藩初代藩主、三男の利治は大聖寺藩初代藩主、娘の満姫は広島藩浅野家へ、また富姫は八条宮家に嫁ぎ、富姫の輿入れに伴い前田家の支援を受け、日本建築を代表する桂離宮や庭園を完成させていくのです。

当時の加賀藩は石高的に幕府(徳川家)に次いでの百万石大大名であり、御三家並みの待遇を与えられていました。

その後も、前田家は、徳川家・宮家・公家・大名家と縁をつないでいきます。

珠姫の孫にあたる五代藩主 綱紀の娘の直姫(栄君・まさぎみ)を公家の二条家に嫁がせましたが、上の娘の夫は桜町天皇となり、その娘は(日本最後の)女帝・後桜町天皇になりました。

その生涯の功績から、天徳院では良縁成就(祈願)・夫婦円満・子宝円満・家庭円満の御仏としてお祀りしております。